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株オンライン(投資顧問)の推奨銘柄について、過去の実績や評判、株価動向を分析します。 業種別の検証シリーズ。 今回は【証券会社編】です。日本アジアグループ(日本アジア証券の元親会社)などを事例として取り上げます。

株オンライン(投資顧問)の推奨株の過去の事例【証券・投資業界関連銘柄】

日本アジアグループ(日本アジア証券の元親会社)【2020年11月】

推奨時点の株価
(推奨日の始値)
343円
(2020年10月28日)
推奨後の高値 855円
(2020年11月30日)
株価の上昇倍率 2.4倍
現在の株価 こちら→
市場 東証1部
(米投資会社カーライルらによるTOBで2021年に上場廃止へ)
証券コード 3751

日本アジアグループとは

日本アジアグループは、日本とアジアの投資家・事業家によって設立された投資会社である。業種の異なる複数の企業を傘下に抱える持ち株会社として活動している。主な事業会社は測量会社「国際航業」とエネルギー会社「JAG国際エナジー」。

日本アジア証券を創設し、後に売却

日本アジアグループは2000年代に相次いで中堅証券会社を買収した。それらを「日本アジア証券」という会社名で統合し、一定の勢力を築いた。しかし、業績が伸び悩んだことから、2017年に証券事業を丸ごと藍澤證券に売却した。これによって日本アジア証券は消滅し、日本アジアグループは証券ビジネスから撤退した。

創業の歴史

日本アジアグループは1998年に香港で設立された。創業者は、野村証券出身の山下哲生氏。山下氏は旧大蔵省でキャリア官僚として3年働いた後、野村証券に転職した。野村では、香港支店の幹部などを務めた。異色の経歴の持ち主である。

会社設立にあたっては、香港などアジアの有力投資家から出資を受けた。当初の社名は「Japan Asia Holdings Limited」。香港のほか、シンガポール、台湾、中国、韓国で金融サービスを始めた。

山下哲生氏の経歴

山下哲生(やました・てつお)氏は、香川県の丸亀市出身。略歴は以下の通り。

1951年12月 香川県丸亀市に生まれる。
1978年 慶応大学卒(商学部及び法学部政治学科)
大蔵省(現財務省)に入省。国際金融局勤務。
1981年 大蔵省を退官し、野村証券に入社。
野村では香港法人副社長などを歴任した。
1996年 独立
1998年 香港で「Japan Asia Holdings(日本名:日本アジア証券グループ)」を設立。
1999年 Japan Asia Holdingsの東京事務所を開設。
2001年 東京の不動産会社を買収し、「日本アジアホールディングス」として活動を開始
2007年 国際航業ホールディングス会長に就任。
2020年 米カーライルと組み、自ら代表を務める日本アジアグループのTOBを実施。

日本へ”逆”進出

Japan Asia Holdingsは1999年9月、東京事務所を開設した。投資対象となる日本企業の物色を始めた。

2001年5月、日本の不動会社「宏徳不動産株式会社」(東京)を買収した。翌月、社名を「日本アジアホールディングズ株式会社」に変更した。これが日本への逆進出の一歩となった。この「日本アジアホールディングズ」と、香港にある「Japan Asia Holdings」が、その後の日本でビジネス展開の司令塔となった。


地場の証券会社を相次いで買収

日本アジアホールディングズは発足後、日本の地場の証券会社を次々と買収した。

丸金証券

中小企業向け投資銀行へ

証券会社の買収攻勢の第一弾は「丸金(かねまん)証券」だ。大和証券系の中堅証券だった。本社は東京。資本金6億5000万円。2001年10月に株式を買い取った。

買収によって、日本アジア証券グループ(香港)の東京支店(日本法人)という位置づけになった。

既存の証券会社を買収した理由は、新規で設立よりも、実績ある証券会社を生かす方が、日本市場に参入しやすいと判断したからだった。

アジア進出を支援

買収後、株式の信用取引などリテール(個人向けの小口取引)からは撤退した。M&A(企業の合併・買収)などの投資銀行業務に集中した。 社債発行など資金調達業務も強化した。 アジアとのつながりを最大限に生かすべく、日本の中小企業のアジア進出を支援する業務も手がけた。

老舗「金万証券」を買収

中国株のファンド販売

さらに2001年、歴史の古い中堅証券会社の金万(かねまん)証券を買収した。買収総額は推定20億~30億円。金万証券は明治36年設立。創業100年の老舗だった。本社は東京の兜町。社員約80人。資本金5億円。未上場企業だった。

首都圏の富裕層

金万証券は、首都圏の富裕層など優良な顧客を抱えていた。埼玉県の春日部にも支店があった。しかし、相場低迷の影響で経営環境が悪化していた。同社の筆頭株主で社長を派遣していた住友生命保険など、複数の株主が株式譲渡に応じた。

経営権取得後、すぐに旧丸金証券を吸収合併した。そのうえで、社名を「日本アジア証券」に変更した。

沖縄の有力地場証券を2社買収

2002年、沖縄の地場で最大手の沖縄証券(那覇市、現おきなわ証券)を買収した。さらに2003年、もう一つの地場証券である大宝証券を買収した。 そのうえで、2003年8月、両証券を統括する中間持ち株会社・琉球ホールディングスを沖縄県名護市の金融特区内に設立した。

日本アジアグループが買収した証券会社一覧

証券会社名 営業エリア 買収年
丸金証券
(まるきん)
東京 2001年
金万証券
(かねまん)
東京 2001年
沖縄証券 沖縄 2002年
ユニコム証券
(旧:大中證券)
大阪 2002年
大宝証券
(たいほう)
沖縄 2003年
丸宏大華証券
(まるこうだいかだいか)
大阪、神戸、京都、東京、神奈川、埼玉 2003年
山源証券
(現:マディソン証券)
奈良 2004年
多摩證券 東京・多摩 2012年

台湾人の女性経営者・呉文繍(ご・ぶんしゅう)氏

日本アジア証券の社長には、台湾人女性の呉文繍(読み方:ご・ぶんしゅう/ウー・ウェンショウ/サンドラ・ウー)氏が就任した。呉氏は、野村證券香港支店で山下哲生氏の部下だった。Japan Asia Holdingsの設立時に創業メンバーとして参画していた。

日本アジア証券の社長就任時、呉文繍氏は30代。その若さと外国人というプロフィールが証券業界で注目を集めた。この後、改革派の経営者として優れたリーダーシップを発揮することになる。(呉文繍氏について詳しくはこちら→

中国株やアジア株を売る

日本アジア証券は、日本での証券ビジネス拡大にあたって、WTO加盟後の中国市場を強く意識した。中国上場の優良銘柄に投資する「チャイナファンド」を開設するなど、中国株やアジア株を売り物にした。また、アジアでのネットワークを生かした営業展開を進めた。

藍沢証券(アイザワ証券)へ売却

2012年6月、Japan Asia Holdings(香港)が保有する日本アジア証券の株式を、藍澤証券(アイザワ証券)に売却した。

撤退

さらに、2017年3月、日本アジアグループなどが保有する残りの日本アジア証券株を藍澤証券に売却。藍澤証券の100%子会社にした。買収額は約10億円。これによって日本アジアグループは証券業務から撤退することとなった。

業績が不安定

日本アジア証券は既存顧客の世代交代や競争激化などにより。顧客基盤の拡大が相場動向に左右され、業績が不安定な状態に陥っていた。

相互補完

一方、藍澤証券は当時、関東・東海・関西・中国地区で43店舗を展開していた。日本アジア証券の店舗と重複が少なく、補完できるというメリットがあった。

外国株に強み

また、日本アジア証券と藍澤証券はいずれも、外国株に強いという共通点があった。藍澤証券は買収によって営業基盤を拡充できた。そのうえで、相続サポートなどの業務を強化した。